健康コラム

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「不要不急」の医療? -手遅れにならない受診行動を-

 コロナ感染拡大の第二波に気持ちがざわつく毎日です。「病院に行ったら感染するかも」、「出来るだけ受診するのは遅らせよう」と病院に行くことをためらう方も多いと思います。実際、病院やクリニックの患者さんは減っており、小児科や耳鼻科など3割も4割も患者さんが減っているところもあるようです。 

 ただ、心配は経営のことだけではありません。本当の心配は「コロナに感染しなかったけど、がん発見が遅れて手遅れになった」といったことや「子どもの予防接種が抜けてしまった」という事例などです。既に、ある大学病院長から「がん治療で手遅れになりかねない事例が出始めている」という話があったり、小児科医らから「子どもの将来に影響が出ないか」という心配の声が出たり、高齢者を診る老年科の先生からも認知症悪化などの声が上がたりしています。
 よく知った少しご高齢(と言っても現役で働いておられる)の方から、「今年は人間ドックを見送ろうと考えているが」と相談を受けました。皆さんはどうお考えになるでしょうか。少なくともキチンとした病院の経営する健診施設は、私の知る限り、徹底した感染対策を施しています。100%完璧か?と問われれば断言はできませんが、1年先延ばしして、がんが、いやそれ以外でも命に係わる病気の発見が手遅れになったら悔やまれるのではないでしょうか。

 先般、私の友人が心臓の発作で急逝しました。手術の予定を立てましょう、と主治医と相談していた矢先のことでした。「今のところ、日常生活には差し障りがない」から「不要不急」で病院に行かずにいよう、と決め込んで良いのでしょうか。
 「念のため」受診しておこうというような、いわゆる「コンビニ受診」はほめられたことではありません。しかし受診が必要であるかどうか、を安易に自己判断して良いのでしょうか。警戒すべき病気は新型コロナだけではありません。他にも多くの病気があるのです。

 手遅れにならない受診はやはり必要なのではないでしょうか?

「新しい日常」に生きる -毎日の生活からの健康づくり

コロナ感染拡大により日本全国に非常事態

宣言が出され、ステイホームが言われて徹底的な外出自粛生活が続きました。5月下旬に解除されてからも、マスク着用、社会的隔離を守っての生活が言われ、テレワークの継続、オンライン飲み会の奨励など「新しい日常」が語られています。
 感染予防最優先の生活が日常となったわけですが、そもそも日常生活とは何でしょうか。人間は社会的存在であり、感染防止が過ぎると精神疾患の増加、特に認知症の増加などが大きな問題となり得ます。「新しい日常」とは感染予防と社会参加の二律背反をどうやってコントロールしていくべきなのか、という難しい問題を私たちに突き付けたと言えましょう。
 ところで新型コロナ肺炎(COVID-19)の重症化リスクは基礎疾患を有する高齢者で高いとされています。ごく一部の例外を除き、若年層の重症化リスク、致死率は極めて低いことも知られています。だから一律的な感染予防ではなくハイリスク高齢者群を守ることが重要だと議論されるわけですが、「新しい日常」でなくとも、従来からの生活の在り方が問われていると思います。つまり糖尿病、高血圧などといった生活習慣病の重症化予防を実現する(+手洗い励行の)生活が、やはり大事だということです。新型コロナ肺炎は新しい感染症ですが、生活習慣に留意して基礎疾患の早期治療を図り、かつ食事、睡眠、適度な運動といった健康を考えた生活が免疫を高め新型コロナ肺炎に対する抵抗力も強めることになります。
 ワクチンがない、治療薬が限られているなど、新型コロナ肺炎に対して不安な気持ちを持つ方が多いと思います。「新しい日常」が必要だというのは当然なことです。ただ、「新しい日常」が今までの日常と全く異なったものかと言うと、そうでもありません。基本的には、健康を考えた生活、繰り返しになりますが、食事。睡眠、適度な運動という生活、生活習慣病の早期治療と重症化予防が重要ということ、これはコロナ前から変らない基本のキであると考えるのです。
 いかがでしょうか。社会参加という難題は残っていますが、毎日の生活における健康づくり、これがやはり大事なのです。

薬局が変わっていく? 健康情報ステーションとしての薬局

「健康情報ステーション」と言っても聞いたことがない、という方が圧倒的だと思います。一方、昭和に育った方なら、町の薬局が身近な健康相談の場だったことを覚えていらっしゃいませんでしょうか。お医者さんにかかるほどでもないな、という軽い風邪や皮膚の問題、ちょっとした怪我など、薬局でいろいろ相談したものです。そんなイメージが健康情報ステーションとしての薬局です。

 国はセルフメディケーション(健康の自己管理)推進の一環として健康情報ステーションの推進を掲げています。市販薬も医療費控除の対象となるセルフメディケーション税制というものもありますが、超高齢化社会においては地域に(ちょっとした、という感じの)健康づくり拠点があれば、確かに良いことだなと感じます。

 まだ一般に普及した存在ではありません。ただ薬局の経営者が地域に出向いて行って、役所の福祉担当者、民生委員から医療介護関係者らが集まっての勉強会に積極的に参加したりして健康づくりのネットワークを担っていこうという動きが増えてきました。また、薬局店頭やショッピングセンターのイベントで、脈拍や血圧を測ったり、場合によっては自己採血による血液検査を実施したりする動きも広がっています。

 生鮮食品以外の食品も売っているドラッグストアも良いですが、また病医院で処方された薬をもらう調剤薬局で「お薬手帳」を活用して薬の相談をするのも然るべきことですが、日常的な健康管理の一環として薬局を気軽に利用できたら、健康づくりが進むと思います。お医者さんは敷居がちょっと高い存在ですが、薬局の薬剤師さんなら気軽に相談できるかも、ということもあります。

 もちろん、病気を甘く見てはいけないわけで、特にインフルエンザの流行時などは他人に迷惑をかけることにもなりかねず、安易に判断せずに医師の診察を受けるべきだと思います。当然のことです。それでも言えることは、健康管理の基本は自分自身で行うことであり、それも専門家のサポートを受けながら、が大事であって、それを気軽に得られる機会があれば良いことだと言えるわけです。

 いろいろな機会があって、場があります。その一つとして「健康情報ステーション」にも関心を持ってみたらと思うのです。

WHO(世界保健機関)の健康の定義について考えてみましょう

 皆さんはWHO(世界保健機関)の健康の定義をご存知でしょうか。1978年、旧ソ連カザフ共和国アルマ・アタで開催された国際会議でアルマ・アタ宣言というものが出されました。その中で、WHOの健康の定義が改めて明らかにされています。

 「健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病のない状態や病弱でないことではない」と書いてあります。病気でないことが、イコール健康だというわけでなない、というところがポイントです。「社会的に完全に良好な状態」とは、社会参加がなされている、ということを意味します。ここのところをよく考えてみたいものです。

 老人は入院したら寝たきりになってしまう、などといった話を聞かれた方は多いでしょう。ベッドの上での生活で歩かなくなるから、また飲む薬の量が増えるためなど、いろいろな要因が重なって老人は病院でフレイル(衰弱した)状態になっていきます。いわゆるQOL(生活の質)の悪化もあってのことです。

 入院とは病気を「治す」ために病院に泊まり込むことです。病院で「暮らす」ためではありません。人間は病気を「治す」だけでは心身の衰えを止めることはできない存在です。家庭でも隣近所においても何らかの「役割」を果たすことによって人間は自分の生きている意味を感じるのです。もちろん人それぞれではありますが、多くの人は社会参加が重要なテーマとなっています。

 認知症の方は、単なる「ボケ老人」ではありません。多くの方は、自分が何者であるかを分かっています、もちろん尊厳も失っていません。私たちは人生の先輩として尊敬し、教わることも多々あると知るべきです。日常生活もままならないとされる方が、介護施設での麻雀レクレーションでは、他の参加者に麻雀のルールから点数の数え方まで指導する、囲碁では2段3段の腕前を見せるなどはごく普通のことです。

 高齢者の運転免許返上が話題になっています。首都圏や関西ならそれで良いでしょうが、地方では生活できなくなります。社会参加できなくなるのです。東京都心でも、実は買いもの難民が発生しています。高齢者の社会参加が危機にさらされています。

 私たちは、病気を「治す」ことから、いかに暮らしを「支える」か、を考えなければならない時代に生きています。ピンピンコロリは知りませんが、生老病死は全ての人間が通る道、我がごととして考えたいものです。

 

がんより怖いかも…生活習慣病について

テレビドラマ「白い巨塔」が話題になりました。山崎豊子さんの名作ですが、発表された当時と時代も変わってきました。主人公の財前五郎ががん手術の名医でありながら、自らもがんで倒れるというのは皮肉なものですが、原作では胃がんだったものが今回のドラマ版ではすい臓がんになっています。医学の進歩が反映されていると言えるでしょう。

 がんは死の病であった。すい臓がんなどは今でも早期発見が難しく、そのイメージが残りますが、胃がんなどはピロリ菌が主因とされ、胃カメラなどでの早期発見早期治療が可能となりました。抗がん剤も進歩して副作用も少なくなってきました。検診をきちんと受けて早期に発見されれば、かなりのところ治る病気となってきたのです。がん治療の拠点病院も増えました。

 人類は病気を克服しつつあるのでしょうか。実際の様相は異なっています。クルマ社会、ネット社会など歩かない生活、過食、カロリ―過多など健康に良くない生活習慣が広がっています。都会で電車通勤をしている人はそうでもないようですが、地方では100m先の近所のお宅に行くのもクルマです。運動不足は明らか。塩分の採り過ぎも問題です。生活習慣病、糖尿病や高血圧の問題が大きくなっています。保健師さんらはそう言います。

 例えば糖尿病はどんな病気でしょうか。自覚症状は少なく、治療にしても、食事や運動療法、薬の服用などは面倒くさい限りで、治療中断の方も多々います。一方で重症化すれば透析が必要に至ったり、場合によっては失明や足の切断もあり得るのです。糖尿病の重症化予防は、今や医療政策の重点課題となっています。

 生活習慣を変えることは難しいことです。美味しいものを我慢したり、運動しなければいけなかったり、痛いことも痒いこともないから今はもっと楽しく生きたいと思ってしまいます。一気に進んだこともあります。煙草については、禁煙促進が進みました。喫茶店や居酒屋でも禁煙の店が珍しくなくなりました。「ヘビースモーカーだが長生きしている人もいる」などという異見も聞かれなくなりました。煙草は肺がんのみならず循環器系他の多くの病気に関係しています。糖尿病も高血圧も煙草の問題と同じくらい深刻な問題なのです。もはやがん対策だけが課題ではありません。昨年12月に脳卒中・循環器病対策基本法が成立しました。実は怖い生活習慣病のことをしっかりと考えたいと思います。