体調が悪いといった時、どうされていますでしょうか。近くであっても外出することになると却って悪化するかもしれません。しかし家でじっとしていたら、どんどん悪くなってしまうかもしれません。
医療費が増えていくということで国は、いつでもどこでも掛かれるフリーアクセスというものを制限していこうとしています。大病院に紹介状なしで行ったら「5,000円いただきます」と言われる時代となりました。風邪ひきなどは大病院の診療対象ではないとされているのです。
「私の主治医は○○大学病院の△△先生」と仰る方もありますが、大学病院などは高い専門性を要する医療を提供する場であり、いわゆる大病を患っていない限り、大学病院の先生が「主治医(もしくはかかりつけ)」であることはないはずとされています。
また、一方で日本人は医者に掛かり過ぎだ、との指摘があります。日本人の年間平均通院回数は12.9回と先進国平均の6.6回のざっと2倍なのです。体調不良があると「念のために」受診しておこうというケースが多いのかもしれません。
では、医療機関への通院を減らすために体調不良を我慢すべきなのでしょうか。そういう訳ではないでしょう。日ごろから自分の体と心のことは知っておくべしということだと思います。かかりつけの医師、また薬剤師など決めておられるでしょうか。歯科医師も同様ですが、日常的に自分の健康状態を知り、何かあったら相談できる「かかりつけ」を持っておきたいものです。日頃の備えが大切だということです。
先日も知り合いのお医者さんが「休日診療所は三桁の患者さんが押しかけてきて野戦病院のようだった」と言われてました。特に子どもやお年寄りの場合、医療機関などに行くこと自体がリスキーとも言えるでしょう。と言って、体の弱ったお年寄りなどが家で我慢してれば良いという訳でもありません。
そんなときのために、信頼できる、自分のことを知ってくれている、相談できる、そんな「かかりつけ」を持つことが、「念のため」の受診より大切だということを知って下さい。
診療は対面して行なう(対面診療)のが原則です。医師法20条には「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書、若しくは処方せんを交付」してはならないと書いてあります。ところが、今年の4月の診療報酬改定で「オンライン診療」という言葉が出てきました。一定の条件下にあってはオンラインで診療しても医師法20条違反ではないと厚生労働省は言います。
オンライン診療は、要するにPC(パソコン)やスマホなどの機器を使って医師が離れた場所から患者を診療するということです。初診と3ヶ月内に1回は対面しての診療が必要であったりしますが、今までは、対面なしの診療は電話による再診しかなく、極めて例外的なものであったことを思うと、画期的なものであると言って良いと思います。
何かと忙しい働き盛りの方々、在宅医療を受けるまではないが通院がしんどいという方々にとって朗報と言えるかもしれません。今は限定的なものであると言って良いでしょう。報酬の水準も高いものとは言えないので積極的な病医院はまだ少ないと思いますが、国もICT(情報通信技術)を用いた医療の質向上と効率化を図っていきたいとしていますので、急速に普及していくことが予想されます。
主治医の先生は決めておかなければなりませんし、急変時の対応も必要とされます。ですから安心して診療を受けられると思います。地方によっては外来患者の多くが平均80歳であったり、慢性疾患患者であったりします。車も運転できないから通院が大変だという患者にオンライン診療はピッタリではないでしょうか。近い将来、「オンライン服薬指導」も始まるようです。幅が広がっていきそうです。
「高齢者はスマホを持たないから」という意見もあります。「だから高齢者を念頭に置いたオンライン診療は普及しない」という意見です。果たしてそうでしょうか。在宅医療、介護関係者は知っています。スマホは使わなくてもPCやタブレットを日常的に使う高齢者は多くいますし、タブレットは少し触れば使いこなせるようになるというのが実際です。高齢者はネットなどICTに弱いというのは、一昔前の偏見でしかありません。
「セキュリティは大丈夫だろうか」という心配も、オンラインでない診療でも同じ状況であることを考えればいかがでしょうか。「オンライン診療」、ちょっと調べてみませんか。
ただし、現在のところ花粉症(アレルギー性鼻炎)が、オンライン診療の対象疾患になっていませんので、もうしばらくお待ちください。
厚生労働省は生活習慣病対策を推進しようとしています。特に糖尿病のことが問題だとされます。食が豊かになり、一方でネットの隆盛が、さらに動かなくて済む生活を可能にしています。糖尿病が国民病になる素地は大きくなっていっていると言えるでしょう。
なぜ糖尿病が問題なのでしょうか。幾つかのことが挙げられます。自覚症状を感じることが少ないことが一つです。生活に不便をきたすことがない状態が長く続きます。だから食事療法や運動療法のストレス、薬を定期的に飲むストレスなどから逃避してしまう患者さんが多いというわけです。食べたいものは食べたいし、運動は邪魔くさいしとなります。
ただし糖尿病は悪化すると怖い病気です。ある日、血糖値が急に上がって、即入院などという話もよく聞きます。それだけではありません。透析が必要になってしまう場合もあります。目が見えなくなることも、足が腐って切断しなければならなくなることだってあるのです。国としては透析治療などで医療費が増加し続けている状況を何とかしたいと考えています。重症化は患者さん本人にとっても国民全体にとっても好ましいことではないのです。
最近の糖尿病関係の学術講演会は面白いです。新しい治療法など純粋に医学的な話よりも、どうやって患者さんに治療を受けてもらうかというテーマがあります。診察室で口頭指導し、食べ過ぎ、運動不足を怒っても治療に取り組む気持ちは大きくなりません。運動も街中のフィットネスクラブならやる気になっても、例えば病院の運動療法室ではやる気になりません。フィットネスクラブと料理教室を病院とは全く別にして取り組んでいる医療法人もあります。いかにストレスなく取り組んでもらうか、ということがテーマになっているのです。効き目の長い(服薬回数の少ない)薬も出てきています。
残念ながら標準治療を推進する厚労省の取組みでは十分な効果が出るとは思えません。語弊がありますが、楽しくストレスなく、重症化しない、つまり生活に無理なくできる糖尿病治療が望まれると思います。言葉を変えて言えば、フィットネスクラブで楽しく、食事は工夫しながら料理してみて、などと生活を楽しむ視点から考えてみたいかなと思う次第です。糖尿病治療全体もそういうように変わっていくのではないでしょうか。
先に介護保険法が改正され、「現役世代並み」の収入がある高齢者の自己負担は3割になるなどの負担増、介護状態の改善を狙った「自立支援介護」の促進などが決まりました。超高齢化を受けて介護保険財政は年々、悪化していっており、負担増は避けられない状況です。また自立支援介護で介護卒業も目指したいとされています。
自立支援介護促進については、あまり話題になっていませんが、当事者にとっては大きな影響があります。自立歩行できるようになること、トイレに独りで行けるようになることは大切なことですが、今までよりリハビリがしんどいものになるかもしれません。市町村によっては要介護の方を減らそうと無理をしてくる可能性もあります。個人の尊厳とのバランスが難しくなりそうです。
介護サービスは、介護人材の深刻な不足もあって、サービス内容が重度者の身体介助やリハビリを重視する方向に行きそうです。デイサービスは報酬を減らされて事業所も減っていくかもしれません。要介護1,2の方への生活援助(家事支援)は大幅に制限されてくるようです。介護保険事業を営む会社も立ち行かなくなるところが増えそうです。その代わりに地域のボランティアの出番を増やしたい、というのが国のやろうとしていることです。
サービス付き高齢者住宅(サ高住)など高齢者住宅も増えました。国はサ高住における訪問介護などに対する報酬も厳格化していくつもりです。世知辛いようですが、高齢者、それも75歳以上の方が増えて来るので仕方ないことなのでしょうか。
2000年に介護保険が始まってから、介護は公的な保険で賄われることになり、家族の介護で困っていた方も、ずいぶん助かったことと思います。しかし人生90年と言われて高齢者が増えて行く中、介護保険でカバーしきれなくなってきています。地域での助け合い、NPOや自治会、社会福祉協議会など活動が重視されていっています。私たちはどう考え、動けば良いのでしょうか。
まだ元気なうちから地域の活動に積極的に参加し、地域に馴染みを増やし、ウォーキングや体操などで体を動かして、などということになるかもしれません。地域に足場を作る、特に男性は群れることを嫌う傾向がありますが、それでも地域での付き合いを増やして行くことが大切でしょうか。
実感しにくいことかもしれませんが、昔と比べて医療は様変わりしていってます。背景にあるのは高齢化と医学の進歩です。感染症(伝染病)が中心だった時代から、生活習慣病、慢性疾患などが中心になってきました。例えば糖尿病です。病院の入院患者の平均年齢も驚くほど高齢化しています。
高齢者になると病気と体も複雑化します。
複数の病気で病院に通う方も多いでしょう。免疫低下でいろいろな抵抗力も衰えていっていますし、栄養状態の悪い方もいます。服用する薬の数も多くなっていきます。交通事故で骨折して入院、というのも若者ならば手術して社会復帰ですが、今やそのまま寝たきりになってしまう高齢者が多くなっている、という次第です。
糖尿病、そして種類によってがんなども生活習慣が深く関係してきます。医学が進んでがんも「付き合う」病気になっていっています。糖尿病は生活習慣が大切とは言うまでもないことでしょう。生活しながら療養する、というのが現代における医療のテーマなのです。単純に「治す」医療から生活を「支える」存在になっていっています。
心臓手術の名医やがん治療の権威も重要さは変わりませんが、日常的にいろいろな相談ができる、専門の病院につないでくれる、そういった「かかりつけ」の先生が大事な存在になっています。国もかかりつけ医を重視する方向で、かかりつけ医以外の病医院にかかる場合は、プラス何がしかの負担が課される可能性も出てきました。日常的な医療をプライマリ・ケアと言いますが、プライマリ・ケアを重要視するというのが今の医療です。専門医療が中心だった時代から変わりつつあります。
最近は何かで入院しても10日、2週間で退院しなければならなくなっています。介護のことも考えなければなりませんが、病院は病気を治療する場所に特化されていきます。生活する場所で療養する。それだけではありません。予防の重要性も高まります。糖尿病は重症化すると透析など厄介な目に遭いかねません。だから、プライマリ・ケアが重要になっていくわけです。
高齢化で病気の人が増えるなら病院を増やして医者か看護師も増やせば良いという意見もありますが、お金の問題、人口減少もあって、そうもいかない現実がります。健康長寿を目指すためにもプライマリ・ケアということを考えてみたいものです。
メディカルフィットネスという言葉を聞かれたことはありせんでしょうか。文字どおり運動することで健康づくりをしようということです。「運動はしんどいし続かない」という方もいらっしゃるかもしれません。例えば糖尿病治療で運動療法や食事療法などは何かストレスが溜まるように感じてしまいます。
もし、通院する病院とセットになったフィットネスジムがあればどうでしょうか。治療で歩け、運動しなさい、と言われてもジムに行く時間も意欲もなかなか湧かないかもしれません。病院内施設は楽しくないと思っている方、病院内ではなく、病院に関連しているが内容はフィットネスそのものというジムがあればどうでしょうか。
通院の続きの感じで通えるジムがあります。料理教室がセットになっているところも。筆者の知っているいくつかの病院では「楽しく運動、健康づくり」を実現しています。病院と続きの建物にフィットネスジム、料理教室、レストラン、自然食品の店が並んでいます。探せば、こういう施設は意外にあるかもしれません。
近くにこのような施設は見つからないかもしれません。病気予防のために、寝たきりにならないために、医療関係の人たちのいう健康長寿のために運動は大事なものです。ただ義務感になってしまうと面白くもなく続くものではありません。それは認めましょう。もちろん、糖尿病だけでなく循環器系の病気においても運動することは大事です。やらされてまで運動したくないという気持ちは分かります。それでも、そういう方に敢えて言いましょう。食わず嫌いになっていませんか。
メディカルフィットイネスを掲げる施設を覗いてみてはいかがでしょうか。治療効果を続けさせるために工夫を凝らしているところもあります。病院だから、きっと面白くないだろうと決めつけないでメディカルフィットネスに挑んでみるのも良いかもしれません。
健康のためにと無手勝流にジョギングするのは、普通の方には良くても、体に問題を抱えている方にとっては、却ってリスクかもしれません。運動する、それを長続きさせる環境は大事であり必須となりつつありますが、医学的なエビデンス(根拠)に基づいて行わないと恐ろしい結果になるかもしれません。楽しさと効果を両立させる工夫はあちらこちらで行なわれています。まず、情報を集めてみましょう。
ある仲間の経営コンサルタントが病院の差別化について、面白いことを言いました。食べることと出すことが大事だというのです。退院して口から食べられること、自分でトイレに行けること、家に帰ってそういう生活が戻ってくること、そういうリハビリをしてくれる病院が人気となる、というのです。うなづける話です。
慢性期医療(昔で言う老人病院)の指導的立場にある医師も「これからのリハビリは歩行訓練ばかりでなく食べること、排せつのことに重点を置くべきだ」と発言しています。リハビリと言うと、病院の廊下の手すりに掴まりながら「よいしょよいしょ」と歩く訓練がイメージされますが、それだけで良いのか。退院してからの生活復帰を考えると、少し違う感がします。
一時、流行のように胃ろう造設が行われました。口から食べられなくなったら、お腹に穴を開けて、そこから「食べて」栄養を採るという次第です。本来は一時的なもので、リハビリをして口から食べられるようになったら塞ぐというものだったのですが、日本では永久に口から食べられないという患者さんが続出、非人間的だと批判されました。
生きる楽しみって何でしょう。疑いもなく食べることが筆頭の一つとなってくるでしょう。好物を美味しく食べる。これに勝るものがあるでしょうか。よく聞く話に末期を迎えた患者さんの話があります。がん治療などで入院していた患者さんが、最後の時期を迎えるに当たって自宅に戻る、一口だけビールを飲んで、食べたいと思っていたものを口にする。満足したように微笑むといった話です。
在宅マジック、という言葉を医療関係者がつぶやくことがあります。弱り切っていた入院患者さんが、自宅に帰ったら一時的にでも元気になるという現象です。自宅での生活、それが本来あるべき人間の姿ということでしょうか。高度医療も良いことだけれども、日常生活を取り戻すということが人間にとっての幸福だということです。
糖尿病の食事療法も、最近はストレスにならないよう、むしろ食事を楽しめるようにという傾向が出てきたように感じます。ある保健師は「栄養のバランスも考えなければいけないが、人とお喋りしながら楽しく食べることが健康にとって大切です」と言いました。同感です。食べること、その意味を見直してみませんか。
日本では超高齢化が進んでいますが、2025年には認知症の方が700万人を超えると予想されています。65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症ということになります。
認知症は特別の病気ではないという認識が広がっています。誰もがなる可能性を持っています。恐ろしい病気でもなく、風邪と同じような「よくある病気」と言われているのです。国は街中のごく普通のクリニック、要するに地域のかかりつけ医が認知症患者さんのケアを行なうことに報酬上の優遇策を採り入れました。認知症は初期対応が重要であるとして、医療者らによる初期集中支援チームが制度化されています。地域における早期の取組みが重要というわけです。
50歳代などで発症する若年認知症の問題に取り組んでいるクリニックがあります。認知症の方でも社会参加はできると、就労支援の活動も行っています。企業は認知症だから雇わないということはないそうです。仕事をしてくれるならば使って良いという考えです。もちろん病状が進めば仕事ができなくなります。その時は、公園清掃などで地域社会に参加します。やはり清掃活動などを行なう老人クラブの方々も「ちょっと話が長いけど、普通の人たちやんか」と一緒に活動をしているそうです。
世間には、徘徊するとか暴力を振るうとか、認知症の方に対して避けて通る、あるいは怖がるような風潮もないと言えません。メンタルクリニックへ連れて行くのも、本人が抵抗して、なかなか難しいものです。自分自身が認知症と告知されたら、やはり嫌だろうと想像します。がんは治る可能性が高くなってきました。その他の病気も医学の進歩の恩恵を受けています。ただ認知症にはネガティブなイメージが払しょくできない、そういう部分が残っています。
ただ、最近は認知症であることを明らかにして社会参加する方が出始めています。薬物治療だけでなく、さまざまな治療法も知られるようになってきました。地域のかかりつけ医で認知症ケアを行ないましょうというのは、認知症患者が増えるから、体制を整えようという意味と理解するのはいかがでしょうか。それもありますが、認知症の方々と地域で向き合っていく、そんな社会にしようという理解と認識を持ちたいと思います。認知症は、決して他人事ではありません。
この4月から大学病院や500床以上の大病院で診療を受けようとする場合、紹介状のない場合は初診で5,000円以上の特別代金を支払わなければならなくなりました。緊急の場合は例外ということですが、それでもかなり高額です。貧乏人は医療も制限されるのか、診療を抑制するのはおかしい、といった声も上がっているようです。なぜ、こんな政策が打ち出されたのでしょうか。
対象となった大病院は急性期、さらに高度急性期と呼ばれる専門性の高い医療機能を果たす役割を期待されています。働いている医師は臓器別、疾患別に特化した、高度な専門能力を持った医師たちです。例えばがん治療に当たっているとか、心臓病の専門家だったりするわけです。こういった医師らには、それぞれの専門を生かした医療を行なってもらいたい、それに集中して欲しいというのが、国の期待でもあり、医師ら自身の気持ちです。
専門外の医療に当たるのは、いわば専門技術を生かすことのできない、もったいない働き方となるわけです。街中のクリニック、身近な病院はどうでしょうか。よくある病気を診てくれて、症状に応じて専門の病院に紹介してくれる役割を期待されていると言えましょう。いわゆる、かかりつけ医の役割です。38度の熱が出た、でも自分で歩いて病院に行ける、といった時、まずはかかりつけの医師にかかることが望ましいとされています。
差がありますが、医師不足が問題となっている地域も多くあります。高齢者が増えてくると病気がちになって病院に行く回数も増えてきます。医療を受ける権利は誰にもあるのですが、大病院の医師は専門に集中してこそ社会的な利益も大きいわけです。逆に患者さんの生活背景を知り問診などにより病気を見極める技術はかかりつけ医にあるべきものです。かかりつけ医で日常的な医療を、大病院で専門医療をという分業が必要なわけです。
軽い風邪とまでは行かなくとも、本来、かかりつけ医が診るべき患者さんを数多く診療して、クタクタに疲れ果てた後で、病棟の入院患者さんの治療に向かう。医療の質にも影響してきます。
少し乱暴かもしれませんが、例えてみれば、フランス料理レストランでお茶漬けを注文することも許容されてきたのが日本の病院です。超高齢化を迎える日本では、効率よく医療を回していくべきであり、だから大病院とかかりつけ医の間などの役割分担が必要となるのです。
4月から「かかりつけ」薬剤師、薬局という制度がスタートします。お薬手帳をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、そういったツールを使って、かかりつけ医ならぬかかりつけ薬剤師を持ちましょうという趣旨のものとなります。
お年寄りが増えて、いくつもの病院に通院して、何種類もの薬を飲むように指示されている方が増えています。なかには飲み合わせ
で悪い影響が出る場合もあります。また多くの薬をもらって来ても、正しく服用できずに捨てる羽目になったという記憶のある方もいらっしゃるでしょう。
かかりつけ薬剤師、薬局とは、そういった現状に対して、その人に合った、副作用などが出ない、適切な薬による治療を実現していこうというものです。今まで薬剤師も、薬剤師の働く薬局も、薬というモノを扱う専門家、専門施設でした。今、求められているのは患者というヒトを対象に仕事する薬の専門家、専門施設というわけです。
特に独り住まいのお年寄りで、あちこちでバラバラに処方された多くの薬を、数が多すぎるために正しく服用できていない方などに対して正しい薬の服用していくお手伝いをする役割を果たすことが期待されています。
自分の病気を話したくない方もいます。しかし薬は言わば毒です。薬剤師は、その薬の専門家です。正しい服用のアドバイスを受けてこそ、病気を治すことにつながります。今、治療中の全ての病気と処方されている薬、そして体調を「かかりつけ」薬剤師に示して、正しい療養生活を実現したいものです。
今、医療界ではポリファーマシーということが問題となっています。必要以上に多くの薬を飲んで、却って害を招いている状態などを言います。自分の体を守るために、「かかりつけ」薬剤師、薬局の活用を考えていきましょう。